【アニメ・漫画】全体主義の洗脳をする日本のメディア。
2020年 01月 19日
個々の人生、活躍を描く作品も多いがそれに負けず劣らず集団思想を
押し付ける作品が多い。
理由は簡単だ。
みな、同じになってくれた方が
儲かるから。
「これ、美味しいぞ!」
と放送・宣伝する。
「これ、今流行っている!」
と伝える。
すると思考力のないほとんどのバカな国民(まぁ、連中はこれを相手に商売をしているのだが)
はそれに突進する。
バカ寒い中、ラーメン屋に行列する連中とか。
まるで戦後の配給。
テレビにおいても宣伝し、集客を得れば当然スポンサー様からお墨付きが来る。
で、ウハウハというわけ。
連中がもっとも困るのが自分のような個人主義の者だ。
見ない。
集らない。
儲からない。
だがこれが普通なのだ。
民主主義だが社会主義ではない。
しかしこの国は社会主義的思想だ。
みんな同じことをしろ。
違うことをするな。
勝手は許さない。
そういう基本のスタンス。
なぜなら村社会だったから。
資源がない。さらに災害(干ばつ、台風、豪雨、地震、津波、火事、雷、洪水・・・)が多い。
集団でないと暮らしていけない過酷な時代が続いた。
だから集ってみな同じ場所に暮らし、結束が必要だった。
今は違う。
個人の自由が認められる時代だ。
文化的に集団主義からの自立(自由)を急ぎすぎた結果、そこへの切替が遅い国なのだ。
アニメ、漫画では話が進むにつれどんどん仲間が集る。
みんな同じ思想になる。
それが気持ち悪い。
みんな馴れ合い。ニコニコ。
まるで家族だ。
それを見るとイライラしてくる。
色々な人物は考えがそれぞれで違うから面白いのにストーリーが
進むにつれ同じにする。
同じ行動、同じ思想。
最後はみーんなハッピーエンド。
まるで天国。
天国の風景を見て面白いか?
みーんな遊んでいるだけ。幸せ。ニコニコしているだけ。問題がない。
与えられた平和。
自分は別に家族や集団に差別的意識はない。
他人は他人で人生楽しめばいい。
ただ、メディア全体が「みんなでチカラを合わそう」という
洗脳めいた「胡散臭い商法」が暑苦しいのだ。
アニメなどでツンとしたキャラが後半ではナカヨシになる。
ツンはキャラでやっていたという設定・・・。ネタバレさせる。
何だ?それ?・・・ビジネスだったのか?と。
あれもキモチワルイ。
ツンとしてたらいけないのか?
みんな同じ思考でないとダメか?
集らないとダメか?
人に流されないとダメなのか?
「自分」は「自分」で
なぜいけないのか?
よく言われるフレーズ。(食品メーカーなど)
「みんなで食べると美味しいね!」
・・・余計なお世話だ。
一人が最高に楽しい。
いつでもどれでもどれくらいでも食べられる。
これが複数の食事では
誰が、何を、どれくらい、いつまで食べるのか考える必要がある。
食事1つでその面倒くささだ。
他人のクチャクチャ食べる音も気になる。
それがうっとおしいのだ。
一人の食事風景を寂しいと思うのは集団主義だからだ。
勝手に仲間と食ってろ。
個人主義の自分には関係ない。
思想を押し付けるな。
そして逆に言えばメディアは孤独、個性を殺す。
孤独はおかしい。孤独は寂しいというヘンな押しつけだ。
集団的思想だと自分らと
違った相手を差別するんだよ。
日本人が「おもてなし」「気遣い」ができて「親切」なのに
なぜかイジメなど陰湿なのはそれが原因だある。
日教組の自虐教育&集団主義が根本にある。
学生時代、クラスでも一人くらいいたじゃないか?
休み時間みんなが外で遊んだり集って何か話しているのに一人ポツンと
読書したり図書室に行く子が。
もちろん友人が欲しくてもできないので一人でいる子もいるだろうが、純粋に
読書好きの子もいる。
それを認めろと言いたいのだ。
孤独は悪じゃない。
日本は集団を善と洗脳する国である。
反対にジメジメした陰湿な内容の漫画、アニメが多いのも
この国の特徴である。
「自分が***なのは***のせいだ」
「***したら***だった」
などのタイトルの漫画があるように。
すぐ他人のせいにする。
自分で解決しようとしない・できない。
自分は正しい。
周りがおかしいのだ、という思考。
単純でよくネット上で使われる「死ね」というやつだ。
「魔法で嫌なヤツをパっと消せば世の中ハッピーだ!」
と思う子供の発想。
もう一度言う。集団主義・・・それは「儲かる」から。この国は市場が狭い。よって・・・
結局はカネなのだ。
まぁ、エセチャリティ番組を堂々と長年続ける国だから
何言ってもムダなのだろうが・・・。